行ってみたやってみた
玖珠町歴史探訪
歴史と文化が盛りだくさん
2023.03.31
ぐるっと周囲を見渡すと、グランドキャニオンかギアナ高地を訪れたような剥き出しの自然と山々。野性味溢れる絶景が広がる玖珠町。大分県の内陸部に位置し、高い山が多いことから水源地も多く、古くから豊かな水を利用して人々の営みが行われてきた。
都市圏ではないので、大規模な開発も行われて来なかったことから、ここ玖珠町には長い歴史の中での繁栄を伝える遺構がそのままの姿で残っていることも珍しくない。
今回はその中でも気軽に観光に行ける
「角牟礼城(つのむれじょう)」
「八丁坂の石畳」
「末廣神社」
「栖鳳楼(せいほうろう)」 をご紹介。
「角牟礼城」
豊後森駅から北に車で約12分。大分県民にもあまり知られていない城が存在する。弘安年間(1280年)に森朝通によって築かれたこの城は、姫路城や熊本城のような立派な城郭を持ったものではなく、交通の要衝であったこの土地を守るための言わば山城。
戦国の時代になって侵攻を受けたが、自然を活かした複雑な構造により、攻め落とされることがなかった難攻不落の城。慶長6年(1601年)からは瀬戸内海を中心に活躍した来島水軍の子孫、来島長親が統治していた。ちなみに、明治から昭和にかけて活躍した童話作家久留島武彦は、その末裔にあたるのだとか。
歴史好きなので、書き連ねて行くと観光には触れられなくなるので、あくまでも観光客の目線で、気軽にその魅力を訪ねてみることに。
出迎えてくれたのは
玖珠町森地区コミュニティ運営協議会会長兼森地区振興会会長の加来さん。
大御所感がすごい。
玖珠町教育委員会の柴田さん。
メガネがくもりがち。
玖珠町地域おこし協力隊の古賀さん。
明るくてパワフル。
取材スタッフなど4人。
計7人。かつてない規模のパーティーで山城に挑む。
古賀さんや柴田さんの雰囲気から結構な山登りをするのかと思いきや、城のすぐ近くに駐車場があり、いきなり城跡ウォーキングができる。
石垣は1600年頃に当時日田・玖珠を収めていた毛利高政が構築したとされるもの。「穴太積み(あのうづみ)」と呼ばれる頑丈な石組みになっているらしい。
撮影時期は冬だったので、道は枯れ葉で覆いつくされ、シャクッシャクッと葉っぱを踏みしめる音も心地よい。もう少し時期が早ければ、山全体が紅葉に包まれ、その景色は息を飲むほどの美しさで最高なのだそう。
もうしばらく歩いていると神社に到着。
角牟礼(※角埋とも表記)神社
源為朝を祀るこの神社には右足の指が6本ある木造不動尊が祀られていて、実はここも地元じゃ有名な隠れたおすすめスポット。
毎年春に、神事、福引き、開運を願う「ウソ替えの行事」などが行われ、多くの参拝客で賑わうのだとか。
なにやら「鷽(ウソ)」という鳥を模った木彫りの人形をこのお祭りの時に取り替えると、前年にあった災厄や凶事を「嘘」だということにでき、新しい年は吉となることを祈念できるものなのだとか。
この一年色々ありました。あのネコ型ロボットがポケットから取り出すような不思議な道具にすがるように、…何があってもこれから絶対参加しよう。
本丸跡には何もないらしく、少し道をそれて、柴田さんが「こっち来いよ」とばかりに案内してくれた。
なんじゃこりゃ。
これはすごい景色。
これだけ見晴らしが良いと、防衛という意味からも機能性は抜群だし、昔のお殿様が今の柴田さんのように家来を誘ったのなら、そりゃもうキュンキュンくるように忠誠を誓うだろう。
これだけ自然ばかりが目に飛び込んでくることから考えると、おそらく城が出来た約750年前、改修をした400年前の時代のお殿様たちとほぼ変わらない景色を眺めているんだろうと思うと、感慨深い気持ちになる。
小さい町でも玖珠町は大きな存在意義を持っている。
続いて、地域おこし協力隊の古賀さんがいれ込んで止まない「八丁坂の石畳」へ。
車で17分ほど西へ。
八丁坂の石畳は、冒頭で書いたギアナ高地のような山、「大岩扇山(おおがんせんざん)」と「小岩扇山(こがんせんざん)」を通る江戸時代の参勤交代の道。
福岡出身の古賀さんは、たまたま訪れたこの場所を見て、一瞬で魅せられ、即決で玖珠への移住を決めたのだそう。
古賀さんと、地元の有志の人たちはもっとこの場所の素晴らしさを多くの人に伝えたいとの思いで駐車場を借り、きちんと整備し、誰でも気軽に訪れることができるように日々手入れを行っているのだとか。
ロマンの塊やん。
杉の木立を抜けて1.25㎞で大岩扇山山頂。
歩きたい、歩きたい、でも時間が…。 後日個人的に来ます
続いて「末廣神社」。
角牟礼城近くに戻り、玖珠の憩いのスポット三島公園から歩く。
三島公園を突っ切り2分ほど歩くと、
ん、
ここからが凄い。
ものすごい石畳。
こんなの初めて見た。
気持ちよく歩いていると、柴田さんから、
「玖珠町はこんな景色が当たり前にあるので文化財的な価値を感じずに、みんな普通に軽トラとかでこの道を登ってましたね(笑) 今はもうやっていないですけど」と。
笑うしかできない。
三島神社に到着。
先に写真をズラッと紹介。
神社なんだけど、ちょっと違和感。造りが城のようで、城壁のような石垣。
理由は…、
城を築きたかったからこうなった。
江戸時代、久留島家がこの地をおさめていたのだが、石高の少なさから幕府が築城を許さなかったため、この一帯を森陣屋として藩政を行っていた。
でも、どうしてもお城を築きたかったので、江戸時代後期、8代藩主久留島道嘉が「神社を改装しますんで!」という口実で城門に見立てた清水御門を作り、石垣や庭園、天守閣に見立てた二階建ての茶屋などをこしらえたのだとか。
いつの時代も“突破力”がある人はいるものだが、この人は本当にすごかったんだと思う。
あまりお目にかかれないお城のような造りの神社。
それでも玖珠の人には当たり前。
最後に紹介するのが、先述の天守閣に見立てた茶屋。
現在では県の有形文化財に指定されている「栖鳳楼(せいほうろう)」。
江戸後期である1831年に完成し、茶室として使われた。
庭園に関してはあまり詳しくないので良さがわからないが、やはり見る人が見ると素晴らしいものなのだそう。
内部は基本的には非公開なのだが、今回は特別に許可いただき、見学できることに。
中はどうなっているんだろうくらいの好奇心しかなかったが内部はとても素晴らしいものだった。
本当に良さが分かり、見たくてたまらない人に申し訳ないと葛藤しつつ、撮影の許可もいただいたので、写真を通じてその素晴らしさを伝える役割くらいは果たせるのではと中へ入れていただく。 写真と動画を。
建築について専門的なことはやっぱりわからないけれど、
確かにこれは…、天守閣。
外から見ると2階建てなのに、中から景色を見渡すと、高台にあるのも手伝って、背の高い城の天守閣のような爽快感。
久留島のお殿様の城を築きたいという願いは、確かに叶っていたんだな。
今回は4か所のみの取材だったが、玖珠町にはこの他にも歴史と文化が盛りだくさん。
ちょっと他所にはないテイストのものも多く、“ここだけ”の魅力をたくさん味わえる。
もっと玖珠町のことを詳しく調べて遊びに行きたいなと思った良い取材でした。
「ウソ替えの行事」の時に色々と散策しよう。